阪神・淡路大震災の記憶

 

本日は1月17日。阪神・淡路大震災からもう22年がたちます。

兵庫県の阪神地区のはずれにいた私もだいぶ記憶が薄れはじめてきました。

震災のさなかに思ったこと、経験したことを忘れないうちに書いておきたいと思います。

1995年1月17日の記憶

早朝、まだ熟睡していた私は、最初がどんな感じだったか覚えていません。

ただ、身体が浮いた感じと、かなり大きいグラグラがあって、ガシャンガシャンと物の割れる音がしました。

まだ、夢の中にいるようで、いったん「無かったこと」にして、また眠ろうとさえしました。

阪神地区のはずれ

私が住んでいたところは、阪神と言われる地域です。

全国的に阪神というと「阪神タイガース」そのものを思い浮かべるでしょうが、

神戸と大阪にはさまれた6市1町の地域のことで(尼崎市、西宮市、芦屋市、伊丹市、宝塚市、川西市、猪名川町で最近は三田市もいれるらしい)品があると言われる芦屋市と西宮市、独得の存在感がある尼崎市、ちっちゃいけど無視できない伊丹市、宝塚市はそうね、宝塚があるしね。

という有名どころの市に混じって、川西市と猪名川町は「どこ!?行ったことないけど!?」などと言われていまして、実際そこに住んでいたのですね。

言ってしまえば山の上なので、震災の時もライフラインは止まったものの、家が倒壊する被害は近所ではありませんでした。

電気も水もガスも止まった、めちゃくちゃになっている家の中でまず思ったことは

「仕事は休みだな」

神戸まで5時間かけて仕事へ行く

とにかく、電気も電話も止まって情報も何もなく海側のほうであんなにすごいことになっているとは全く思っていませんでした。

しかし、フリーでイベント関係の仕事をしていた私は、ご近所の情報で電車も止まって、道も渋滞で車が走れないことを聞いてとりあえず仕事へ行くのはあきらめました。

数日後、イベント関係の仕事が全く無くなった私は、友達の試食販売の仕事を手伝うことになり

神戸の山奥のスーパーへ向かうことになりました。

そのころはところどころ電車が回復し、電車が走れないところはバスが出たりして大渋滞だけどなんとか神戸には入れました。

通常だったら1時間かからないところを5時間かけていきました。

朝、5時に出発すれば10時の開店に間にあうのですよ。

そう、意外と被害がひどくないところでは、本当に普通の生活がありました。

震災の一週間後の大阪の梅田なんて、本当に会社が通常運行していてびっくりしたのを覚えています。

偉大な石油ストーブ

私の近所は被害が少なかったので、水道と電気は結構早く復旧しましたが

なにせ真冬で本当に寒かった。

何故かうちには石油ストーブが4台もありました。

引っ越してくるとき、こんなのもう使わないよってブーブー言っていましたが、これが本当に本当に役に立ちました

近所の、小さい子供や風邪をひいたご家庭に3台貸し出しましたが、めちゃくちゃ感謝されたんです。

石油ストーブは煮炊きが出来るのです!!お湯が沸かせるのです!!

どこからともなく、灯油をすごい高い値段で売りにトラックが何台かやってきました。

近畿以外のナンバーだったし、2倍くらいの値段だったから余計びっくりしたけど、

とにかくありがたい気持ちが大きくて、みんなで購入しましたよ。

水が流れないトイレ問題

いまだに友人と話題になりますが、災害時のトイレ。

水が出ないとトイレは流れないって考えたことありますか!?

流れないんです!!お風呂に水が残っていたお家は本当にラッキーで、まさか給水車でもらったお水でトイレは流せないでしょ。

みんなどうしたと思いますか?

朝がくるたび、公園のトイレがすごい事になっていたそうです。

あふれているとかじゃなく、皆さま、捨てにくるのですね。

めっちゃ、気持ち分かります。赤ちゃんのウンチでさえ、えぐい。

大人何人分のアレはどうしようもない。一軒家ならまだ埋めたりできますが(嫌だけど)

マンションとか気密性の高い家だと、まあ、しょうがないのかもしれませんね。

そんな事を知た今でも、いつ、どのタイミングでお風呂の水を溜めるのか悩んじゃいます。

被害者は善!?

都市型の大震災はだれもが未経験だったし、お役所も警察も消防隊もみんな一生懸命動いていました。

それでも来るのが遅いとか、何していたとか不満を言う人はいっぱい出てきます。その人達も家族の命がかかっていたりするので余裕がないのです。

でも、最初に駆けつけてくれる、そのお役所や消防の人達も本当は被災者でその人の家族も大変な思いをしているということを考えていないといけないです。

当時の女性の芦屋市長は、被災者に「お役所に閉じこもって、現場を見ずに何が分かる」と批判され、現場を視察にいくと「トップがこんなところに来ないでもっと早く復旧するよう役所で指揮をとれ」と言われていました。

実際、市長も被災者だったのですが。

また、崩れた高架のしたの交番に警官が閉じこまれていると分かっていたのに、「警官だから」救助されたのは一番最後で、助からなかったとも聞いたことがあります。

災害時は自分や家族を守るため余裕が無くなりがちですが、まわりを見る余裕も持っていたいです。

4日目でゴルフ

家のそばにゴルフ場があり、そこの設備がある程度回復した時、お風呂を開放してくれました。

それまでは、2時間かけて隣の大阪の銭湯へ行き、2時間かけて帰って来ていたのでありがたかったです。

驚いたのは、震災から一週間もしないうちにゴルフをプレーしている人がいっぱいいたこと。

まあ、交通も混乱してどこへも行けなかったし、暇だったのでしょうが、上空を毎日ヘリコプターがぶんぶん飛んでいる中、上から見た記者さんもびっくりしたでしょうね。

そういえば他府県の友達が、毎日テレビで兵庫県(の上空からの撮影)を見ていたけど、芦屋ってやっぱすごいね、庭にプールがある家がいっぱいあったよと興奮して報告してくれました(すごくうれしそうだった、何故か)

たぶん、普段なら撮影の許可がおりないでしょうが。

あれから22年

あの時は、これから人生どうなるのかなあ。と何とも言えない不安をいつも感じていました。

でも家が倒壊したり、ご家族が亡くなった方に比べると私なんかの不安なんてちっぽけなものでしょう。

被害がひどい地区では、本当にご近所で協力が素晴らしかったし、お店の盗難だって私は聞いたことが無いです。

神戸の山○組総本部は全国から応援物資!?がすごいスピードで集まり、ご近所へ「受け取らんかいっ」と押し付けてくれたそうです(この、物資が集まるスピードは行政も見習うべきだと、TVで言っていた気がします)

 

その後、東日本大震災が起こり、各地でも地震が続いています。

ちっぽけな人間が大自然に対抗するなんて無理かもしれません。

でも、なんとか過去の経験を共有して被害を最小にしていかないといけません。

どんな時も思いやりをもって行動しないとなあ~~と最後の感想です。

 

 

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